下松市議会 2021-06-24 06月24日-04号
今回の質問では、100年前の創立時の意気込みや高ぶりを思い起こして、以後、あえて山工と呼ばさせていただきますが、この山工は山口県には当時なかったエンジニア養成所としての意義づけをもって、1921年、100年前に創設されました。
今回の質問では、100年前の創立時の意気込みや高ぶりを思い起こして、以後、あえて山工と呼ばさせていただきますが、この山工は山口県には当時なかったエンジニア養成所としての意義づけをもって、1921年、100年前に創設されました。
自分は宇部工業高校に行っていたけど、この下松工業高校と同じように帽子の記章は、両校とも山口工業の山工というものであった。この自慢話は、私は一生の間に何度も聞きました。それはともかく、その父が、私が家を下松に建てるということで昭和の終わりごろに、今から30年ぐらい前、この地に来て話したことでございます。
帽子の記章が山工であったということを、何度も何度も私に言い聞かしております。 もう一つ、明治の政商藤田伝三郎さんという人も、この下松の地の出身と聞いております。ほかにもたくさんあろうと思いますが、そういう方を顕彰したいなというふうに考えるということです。
B氏は、メーカー営業の経費として、姫路市にある代理店K山工商という会社のK氏から2010年に100万円の借金をしておりました。大島漁港工事の金銭授受の問題は、私が議会で提起したすぐ後の時期、7月12日づけでこの借用証に貸付金100万円の回収について、講師となった人物に委任するというK氏の手書きの文書があります。さらに8月10日づけで、K氏が債権譲渡書を書いています。
結局、愛宕山地域開発事業というのは、山工区、広島防衛施設局の山工区であるというふうに私はそのときに聞いてるわけです──じゃあないですかというふうに言ってるわけですが……。 山口県は沖合移設対策室というところが、この愛宕山開発を担当しておられます。